論語と孔子の思想
近頃、暑いので斜め読みしておりました。
前半の論語の成立事情に関する考察は、先行研究の結果に基づいているはずですが、さっぱりその言及も参照文献もなく、どこまでが事実として認められていることで、どこからが著者の推測・意見か判然としないので、あまり読んでいて面白くなかったです。
前漢までの論語の成立を論じていますが、事実関係としては、武内義雄の「論語の研究」などから引いてきたと思われるようなものが多いです。
しかし、後半の第五編「論語と儒学の学」当たりになりますと、支那人の思考様式そのものを批評して、否定にかかって面白くなってきます。支那文明そのもののに起因して儒教という虚飾がまかり通っていると明快に述べております。最後は儒家・法家・道家すべてを近代人的な合理主義から否定して、小気味いいです。
これは漢学者などの著作には見られないもので、支那人に自己批判は望めないにしても、誰かが言わなくてはならないものであるのだから、自由世界の文明国民たる日本人がどうしても言わなくてはならないことでしょう。
この点については、結語「論語の研究の方法と態度」にも明示されており、はなはだもっともだと思われるところです。
しかし、儒教を捨てても共産主義(マルクス=レーニン主義)に嵌る支那人の愚昧さには草生えるw しかもその虚飾性といい、やってることは儒教時代と何ら変わりがない。
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支那人とインデアン
支那人は、王を神格化するのではなく、禹や鯀のように神話の神の方を引きずり落として王としたという考察は興味深いです。支那人の宗教心のなさは、自然の崇高さへの敬意の欠如の産物であろうというのは、さもありなんという感じです。
ところで、仰韶文化の焼き物の装飾をみていると、現代アメリカ・インデアンの砂絵に見られる装飾とよく似たものがあるので、興味深いものだなと思います。