晏子春秋(下)w
今年の夏はとても暑かったので、イライラする数学とかは止めにして、晏子春秋を読んでいました。儒家の様な糞理屈はなく、道家の様なひねくれもなく、即物的で常識的な内容で良いです。占いや怪異は否定し、才気に走った逆説とかもない、順当な話ばかりです。
何年も前に上下ざっと読んだ後に、上巻は少し真面目に読んだのですが、お腹いっぱい感がしたので、下巻は内容の薄い外篇や冗長な異聞の類が多いし放置していました。
しかし忘れた頃に読んでみると、結構面白く読めました。特に、どうでもいいようなカス話が集まっていると思った外篇が面白かったです。
殿さまの景公が、ムー的な嘘話を質問すると、晏子も荘子的なほら話で答えて、景公がわしの質問は口から出まかせなのに何故答える?と聞くと、嘘には嘘を答えるものと言って和むエピソードや、ホモ話とか、本編から外れて平和です。
最後の章で、晏子の死後10年以上たって、いつもウェーイ!と遊んでばかりだった景公が、宴会で弓矢の的を射外しても、周りの奴らはサイコー!しか言わないので、つまらなくて晏子が死んでから叱られたことがないとこぼすので、ちょっとしんみりします。
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斉とオカルト
谷中信一編「晏子春秋」下巻 p.289 の余説に、荘子逍遥遊編を引いた後、
『荘子』ではこの後、「斉諧は怪を志(しる)す者なり、諧の言に曰く」として、類似の無稽の言を連ねる。この「斉諧」が書名か人名定かでではないにせよ、ここに「斉」の名が見えること、『晏子春秋』が斉地とは切り離せないことを考え合わせると、もともと斉地にはこうした無稽の話が伝わっていたのかも知れない。
とあります。晏子春秋自体は、反オカルト的即物常識主義でですが、話の中には景公に怪異を吹き込む巫祝の長官が出てくる話があります。
武内義雄『支那思想史』第十一章「前漢の経学」の三「斉学派」には、オカルト好きの武帝に召し上げられた斉人董仲舒が、天人相関による五行・陰陽・怪異・災異の讖緯説を唱えたこと、その源は (ヒューゴー・ガーンズバック流のw) 外挿を旨とする鄒衍によることを書いています。そして、鄒衍について述べた第六章「稷下の学」四「鄒衍」には、「鄒衍の五行説が渤海湾海岸の方士に影響して神仙伝説を生んだようである。」とあります。
さらに、第十六章「道教の成立」には、「第二の神仙説は戦国の頃燕斉海岸の方士から起った迷信で恐らく渤海湾上に現れた蜃気楼が本となってまず蓬莱方丈瀛州等の神仙山の伝説が起り、この伝説と鄒衍の九州五行説が結び付いて、遂に不老不死の仙薬を求めるといった様な迷信と成ったもので(云々)」とあります。
斉は土地柄としてオカルト傾向が強かったと思われます。
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