モデルナ3回目
先日、モデルナ追加接種を受けてきました。1,2,3回目全モデルナです。注射翌日は38度ばかりの熱が出て、頭痛と関節痛がひどくて寝ていました。翌日には腕の痛みだけになっていましたが、微妙に頭痛が残って3日目も頭が重かったです。花粉症の始まりかも知れませんがw
付記:なお約10日後に腕がかゆくなって、無意識にひっかいていましたw これは一晩くらいで引きました。
范蠡の成金伝説w 畜蕃息
呉越の抗争は漢文の教科書にも出てくる有名物語で大層な大戦争が繰り広げられていたようにも感じられますが、時代的には孔子の生きていた時代に重なっているにも関わらず、論語中にも特に何か言及があるわけでもないように思います。 まぁ中原の外の話なので、あえて無視したとも考えらますが、呉から来ていた弟子の子游も特に大騒ぎしているわけでもないようですので、言うほど大きな争いでなかったのかもしれません。
范蠡は、越が呉を滅ぼした後(BC473)斉にゆき大臣となったとありますが、孔子の死が BC479 (4支7那人9苦しむ)なのでほとんど同時代のはずで、ちゃんとした記録があってもいいように思います。斉で田氏の専横が始まる頃なので、その辺と絡んでいるのでしょうか?
また范蠡はその後、斉の大臣の地位を捨て曹の国へゆき商売で大成功してウォーレン・バフェット並の成金になるそうですが、孔子の弟子の子貢が曹の国との交易で大金持ちになったという話とどう関わるのか謎です。また、范蠡に貨殖の秘訣を聞いた魯の猗頓が、(コカ・コーラやジレットのかみそりではなく)畜産業を勧められて牧畜で大成功を収めたことになっています。
当時何らかの農業革命で畜産が大正時代の船成金や戦後の西武のような鉄道成金、近年のインターネッツ成金のごとき成金を生み出す事業であったのかもしれません。史記に、孔子が飼育係になって「畜蕃息」したというのも、普通の解釈では『つまらない仕事もまじめにやった』と解釈されますが、先端産業にちょっと手を染めたというひけらかしの嘘だったかも。なお、孟子には「牛山の木嘗て美なりき」といって、晏子春秋で景公がしょっちゅうピクニック遊びに行っている郊外の牛山が百年たってタクタクたる禿山になっており、その原因が家畜が草木の芽が出るとすぐ食べてしまうからと言い、牧畜による環境破壊を記述しています。金儲けの行き過ぎでしょうか。