鄭玄の先生
秋も深まってきて、またぞろ武内義雄の支那思想史を読んでおりました。面白いので何度読んでも飽きません。戦前の学術の水準の高さよ。でも何度も読んでいると細かいところが気になってきます。
第十二章 後漢の経学 に、鄭玄ははじめ第五元先に師事して今文学を修めたとありますが、この「第五元先」は支那人としては奇妙な名前なので前から気になっておりました。
狩野直喜の中国哲学史(戦後の岩波書店刊なので支那を使っていないw)には「第五元先に従い京氏易・公羊春秋・三統暦・九章算術等を学び、又、張恭祖より周官・礼記・左氏春秋・韓詩・古文尚書を受けた。」とあります。はじめに斉系統の今文と割と新しい暦法と数学を学んで、当時流行の古文の系統も学んだようです。
ネットで検索すると、以下の様なものが引っかかります。
『潜夫論』および『後漢書』によると、戦国時代の斉の田氏の子孫が、前漢時代に関中に移されたとき、人口が多かったため、第一氏から第八氏までに分けたという。
ということで、ずいぶん雑な姓のつけ方です。中国版のページを見ると、「元先」の「先」の字の無い記録もあるようで、本当は第五元なのかもしれません。
追記:R3.10.25
後漢書に第五倫伝があって、そこに第五一族の名が出てきています。みな姓二文字+名一文字の計三文字です。第五元は鄭玄伝の所に登場しますが、第五倫伝の方には出てきません。先は衍字なのかもしれません。