W. P. Heising ”Fortran”
Communications of the ACM, March 1963, Vol. 6 No. 3, Pages 85-86.
Fortran | March 1963 | Communications of the ACM
高々二ページに満たない記事ですが、様々な項目に関して興味深い歴史的事実を漢文の如き簡潔さで記述しています。
「ソース・プログラム」、「オブジェクト・プログラム」、「オブジェクト・マシン」はFORTRAN のマニュアルの用語がそのまま定着したと書かれています。
また FORTRAN コンパイラのマスターテープは、各顧客マシンの構成に合わせて「修正(パンチ)カード」で、今でいうパッチを当てる工夫を発明したようです。また、バグ等の修正は「修正レベル」で表わされ、それが溜まったあとマスターテープを作り直した場合「ヴァージョン番号」が上がるようにしていたようです。
入門マニュアルの類についても記述があります。外国語マニュアルも世界各地でローカライズ版が出されたようです。フランス語版はコンパイラのメッセージやアセンブリ言語のニーモニックまでフランス語化されたそうです。Computer Museum にうpされている FORTRAN I のフランス語版マニュアルは、確かに FORTRAN 命令もフランス語化されていました。
また、利用者側からの貢献についても 1/3 程度のスペースを割いて重要性を強調していました。コンパイラ単体が重要なのではなく、周辺も含めたプログラミング・システム全体が重要なのだと強調しておりました。
利用者側からのコンパイラのバグ取りや機能追加の実例が上げられており、自発的に発生したユーザーコミュニティグループの SHARE とその貢献に関連して、いまでいうオープンソース開発的な形態と精神について極めて肯定的に書かれていました。
FORTRAN の世界では、昔からソースコードのやり取りや公開は普通に行われていて 1950 年代のコードが、幾人にも手を入れられて未だに使われている例がざらにあるので、近頃 COPYLEFT とかオープンソースどうのこうのと、いきりハッカーにすごまれて、なんだか剣呑剣呑wです。
どうでもいいことですが FORTRAN II の倍精度・複素数演算パッケージは、かの有名な億万長者ハワード・ヒューズのヒューズ飛行機会社の開発提供の模様です。
記事掲載の ACM 特集号:
Toward better documentation of programming languages: introduction
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