fortran66のブログ

fortran について書きます。

【寝言】ダライ・ラマ来日中!

Slow boat to China

アメリカ人が悟るのが遅かったが、ようやく目が覚めたかw 
www.youtube.com

The origins are in Los Angeles/Las Vegas (and possibly San Francisco) slang, definitely traceable to some poker slang of the Depression Era: Someone on a long but slow winning or losing streak was on a slow boat to China; it would eventually happen, but it’d be all day before it did.

Where did the phrase 'slow boat to China' come from? What does it mean? - Quora
要するにじわじわ連勝またはズルズル連敗。

special.sankei.com

 古い話だが、米国の中国問題専門官僚のロバート・サター氏を初めて知ったのは1982年3月、レーガン政権当時だった。下院外交委員会が日米関係についての公聴会形式の討論会を開き、エール大学のヒュー・パトリック教授、日本外務省の岡崎久彦氏ら証人の末端として私も招かれて、発言した。その際の調整役が議会調査局のアジア担当官のサター氏だったのだ。

 サター氏はそれ以降、国務省、中央情報局(CIA)、国家情報会議と所属の政府機関を移りながらも、一貫して中国と取り組み、とくに中国の対外政策を追って、対中政策の形成にかかわってきた。私はサター氏の見解を数えきれないほど尋ねてきたが、彼のスタンスは常に反中でも親中でもなく、中庸を得て、客観的に思えた。

 サター氏本人は個人の政治信条では民主党寄り、中国研究では自らを「穏健派」と特徴づけてきた。だが、その同氏がこれまでの自分の中国認識には誤りがあったと認め、トランプ政権の中国への対決基調の新政策を支持するようになった。

 「私は長年、中国の動向に対してあえて危険視はしない穏健な認識をとってきたが、中国の高度技術の略奪的な取得にみられるような米国の国益を犠牲にする攻撃的行動を過小評価していたことを理解するにいたった」

 いまはジョージワシントン大学の教授としてなお中国研究の第一線にあり、中国とロシアの接近についての官民合同調査の中核にもあるサター氏は自分の錯誤を率直に認めるのだ。一種の転向宣言ともいえるだろう。

 「米国側は関与政策の名の下に中国も米国も受け入れられるアジアでの国際秩序の構築に努めてきた。だが中国はそれに応じず、逆に米国側の現状保持の政策基盤を切り崩す戦略をあらわにしてきた。中国側からの関与を期待した私たち穏健派中国専門家は一様に失望し、考えを変えることを余儀なくされてきた」

 サター氏は最近の一連の論文や証言でこんな趣旨を述べる。そしてペンス副大統領の演説に集約されるトランプ政権の対中対決政策は民主党リベラル派の支持をも得ていることを強調し、これから長く険しい米中対立が続くという見通しを明言するのだった。

 この民主党リベラル派の対中観としてはワシントン・ポスト外交問題コラムニストのジョシュ・ロギン記者による11月中旬のAPEC(アジア太平洋経済協力会議)報道が参考になる。

 パプアニューギニアでの同首脳会議を取材した同記者は中国代表団員たちが首脳宣言の採択を阻むために主催国の同国外相に強引に面会を求め、断られると力ずくでドアを開けて押し入り、警察を呼ばれるにいたるという経緯を詳しく報じていた。

 リベラル派のロギン記者は同宣言草案には中国以外のすべての参加国が同意していたとも報道し、中国政府代表たちのその阻止活動は叫び、ののしり、「獣のようだった」とまで書いていた。だから「いまの中国政府は強引で被害妄想で無法」だとも断じる。

 米国側の対中観は超党派でここまで厳しくなったのである。(ワシントン駐在客員特派員)

ロシアと一時妥協して背後を突かせ、金氏朝鮮ワイルドカードにしてトラップをかける。韓国は捨て台湾を取って封じ込め。共青団を利用して内部不満を煽り、大衆動員を逆手にとって文革のようにコントロール不能な事態を発動させる。東側陣営内だけで潰し合わせるのが吉。

イタリア・ドルチェ&ガッバーナのファッション・デザイナーの実験は、文革再発のトリガーとしていいヒントになる。

ダライ・ラマ来日

www.sankei.com

2004 年の反日デモダライ・ラマ来日に合わせたもので、やはりダライ・ラマ来日に合わせた西安寸劇事件と同じく、いつもの嫌がらせでしたが、コントロール不能になってしまい、それ以降はダライ・ラマが来日しても、反日扇動をやらなくなりました。今月のダライ・ラマ来日でも、中共支那豚はしおらしくしていますw

西安寸劇事件

瀋陽ではなく西安

瀋陽の寸劇事件ですが、これはダライ・ラマの訪日に合わせて発生しており、離日とともに収束しています。ぜひ日付を確認してみてください。
ちなみに、反小泉デモとされる2004年の反日大暴動も、実はダライ・ラマの訪日に合わせて起こっており、離日に合わせて終息命令が出されて、以後のデモ参加者は逮捕などされております。 削除
2012/12/15(土) 午後 5:12 [ 餃子の満州 ] 返信する

なるほど。確かに対応しています。2003年11月5日の記事がありました。この1週間前ですから、知れ渡っているはずです。

東大寺便り * ダライ・ラマ第十四世ご来寺

11月5日午後1時半、釈尊の教えを世界各地で説いておられ、1989年にノーベル平和賞を受賞された、ダライ・ラマ第十四世テンジン・ギャツォ猊下東大寺を参拝された。今回の訪日は、チベット問題を考える議員連盟などの招きで来日されたもので、午前中は市内のホテルで宗教者らと非公開のフォーラムに臨まれた後、興福寺を参拝された。
2012/12/15(土) 午後 5:35 [ 中村 伊佐奈 ] 返信する

もっと見つけました。31日キャピトル東急でレセプションですから反日デモは2日前に起こっていますね。

11月1日(土)13:30~15:30(12:30開場)
無料講演「慈悲の力 "Power of Compassion"」

11月2日(日)午前の部 9:30~12:00
有料講演 「心を訓練する八つの教え"Eight Verses on Mind Training"」
11月2日(日)午後の部 14:00~16:00
有料講演「科学と仏教の対話"Mind and Science Conference"」
2012/12/15(土) 午後 5:37 [ 中村 伊佐奈 ] 返信する

blogs.yahoo.co.jp

【乞食速報】CRC press 印刷本三割引き

Cyber Monday sale CRC press

26日限り、印刷本のみ、3割引き、送料無料。(普段は2割引き、送料無料)
https://www.crcpress.com/assets/images/crc/cyb-mon-2018.jpg

coarray 本有ります。

Parallel Programming with Co-arrays - CRC Press Book

coarray 提唱者による coarray を用いた、行列-ベクトル、行列-行列積等の基本的並列アルゴリズムを記述した本。

coarray 規格としては F08 水準で、出版が遅れた割に最新の次期 F18 規格の記述は入っておらず。必ずしも coarray そのものを解説した本ではない。

【寝言】中國的暴虎馮河徒競走

辮髪女が捨て身のギャグ

朝日新聞は、もっと精中らしく、中共国旗侮辱罪で女を罵れよw しかし真面目な話、走路妨害のルール違反を咎めない朝日の視点は恐ろしいな。
news.headlines.auone.jp

 マラソンの成績と国旗、どちらが重要なのか――。中国・江蘇省で18日開かれたマラソン大会で、ゴール直前にデッドヒートを繰り広げていた中国人の女子選手がコース上で手渡された中国国旗を落とし、失速して2位に終わったことに、中国のネット上で評価が真っ二つに割れている。

 「国旗騒動」が起きたのは、蘇州市での蘇州マラソン女子の部。ゴール間近で、中国の何引麗(ホーインリー)選手がケニア人選手と並走してトップ争いをしていると、沿道からコース上に人が飛び出し、何選手に国旗を手渡そうとした。突然のことに何選手は国旗を受け取らず、そのまま疾走。すると、今度は別の人がコース中央に立って待ち構え、国旗を何選手の右腕に絡めるように手渡した。

 何選手が腕に絡みついた国旗を左手で取り外した時、国旗はコース上に落ちた。そのままレースは続いたが、何選手はペースが落ち2位でゴール。タイムは1位と5秒差の2時間30分30秒だった。

 この様子はテレビで生中継され、レース終了直後からネット上では、「紙くずのように国旗を投げ捨て、国旗を侮辱した」「愛国心が足りない」、一方で「レースを邪魔され、選手がかわいそうだ」「愛国主義の過ちだ」と大論争に。何選手は中国版ツイッター微博で「国旗は投げ捨てたのではなく、腕がこわばって落ちてしまった。とても申し訳ない」と謝罪した。

 ネット上で行き過ぎた愛国主義への批判が相次ぐ中、中国共産党機関紙・人民日報系の環球時報(電子版)は19日、「国旗は侮辱されてはならないし、愛国は偏狭であってはならない。ただ、すべてを愛国主義のせいにするべきではない」との記事を出した。大会主催者は国旗を渡したのはボランティアで、「愛国の思いからだった」と説明している。

【メモ帳】Heising の FORTRAN 記事 (1963年) が面白い

W. P. Heising ”Fortran

Communications of the ACM, March 1963, Vol. 6 No. 3, Pages 85-86.
Fortran | March 1963 | Communications of the ACM

高々二ページに満たない記事ですが、様々な項目に関して興味深い歴史的事実を漢文の如き簡潔さで記述しています。

「ソース・プログラム」、「オブジェクト・プログラム」、「オブジェクト・マシン」はFORTRAN のマニュアルの用語がそのまま定着したと書かれています。

また FORTRAN コンパイラのマスターテープは、各顧客マシンの構成に合わせて「修正(パンチ)カード」で、今でいうパッチを当てる工夫を発明したようです。また、バグ等の修正は「修正レベル」で表わされ、それが溜まったあとマスターテープを作り直した場合「ヴァージョン番号」が上がるようにしていたようです。

入門マニュアルの類についても記述があります。外国語マニュアルも世界各地でローカライズ版が出されたようです。フランス語版はコンパイラのメッセージやアセンブリ言語ニーモニックまでフランス語化されたそうです。Computer Museum にうpされている FORTRAN I のフランス語版マニュアルは、確かに FORTRAN 命令もフランス語化されていました。

また、利用者側からの貢献についても 1/3 程度のスペースを割いて重要性を強調していました。コンパイラ単体が重要なのではなく、周辺も含めたプログラミング・システム全体が重要なのだと強調しておりました。

利用者側からのコンパイラのバグ取りや機能追加の実例が上げられており、自発的に発生したユーザーコミュニティグループの SHARE とその貢献に関連して、いまでいうオープンソース開発的な形態と精神について極めて肯定的に書かれていました。

FORTRAN の世界では、昔からソースコードのやり取りや公開は普通に行われていて 1950 年代のコードが、幾人にも手を入れられて未だに使われている例がざらにあるので、近頃 COPYLEFT とかオープンソースどうのこうのと、いきりハッカーにすごまれて、なんだか剣呑剣呑wです。
https://vertigoaround.files.wordpress.com/2010/01/untitled.jpg


どうでもいいことですが FORTRAN II の倍精度・複素数演算パッケージは、かの有名な億万長者ハワード・ヒューズのヒューズ飛行機会社の開発提供の模様です。


記事掲載の ACM 特集号: 
Toward better documentation of programming languages: introduction
March 1963 Table of Contents | Communications of the ACM

【乞食速報】やや安い

【本日のみ】Guide to Fortran 2008 Programming

www.springer.com
電子版 ¥2,599 本日のセール

電子版なので本当に安いのかどうか。数年前ならブラックフライデーなどで $10 になる所ですが、最近金にしぶい Springer さん。

なお Fortran 2003 版との主な違いは、Coarray の章が付け足されたこと。あとは細々した付け足し。

Springer 系 Apress サイバーマンデー・セール

Fortran 本が無い Apress ですが安い。全品 $7!
Springer Lecture Notes in Computer Science—also just $7 と Springer eBooks in Computer Science も!

f:id:fortran66:20181119212629j:plain
サイババさん
www.apress.com

【メモ帳】Fortran で副プログラム引数は FORTRAN II から

副プログラムの引数に副プログラムを与える

IBM709/7090 用 FORTRAN II ですでに可能。1961 年版マニュアル 34 頁前後。第一カラムに F を書くことで external 指定。
http://archive.computerhistory.org/resources/text/Fortran/102663112.05.01.acc.pdf

IBM704用 FORTRAN II 1958年版マニュアルには記述が見当たらない。
http://archive.computerhistory.org/resources/text/Fortran/102653989.05.01.acc.pdf


IBM 7090/7094 用 FORTRAN II 1963年版マニュアルより。 
f:id:fortran66:20181118101331p:plain
http://archive.computerhistory.org/resources/text/Fortran/102653994.05.01.acc.pdf

THE PROGRAMMER'S FORTRAN II AND IV: A Complete Reference

Charles P. Lecht 著 1966 年

Robert Bemer による序文に、最初期の思い出話が載っている。FORTRAN 以前の言語、FORTRAN 開発グループ初期主要メンバ、IBM 650 用 FORTRANSIT 命名の由来、XTRAN、 他社製 FORTRAN その他。

www.amazon.com

(Bermer の文中 W.P. Heising の名が W.P. Heisling と誤植されている。P.VIII)

私見
FORTRAN は II から IV に替わる前後で、Backus の率いる Programming Research Group から Heising の Applied Programming Department に所管が移っている。709 用 FORTRAN II 以降は後者による開発と思われる。

1984年の FORTRAN 誕生25年記念号 (IEEE Annals of the History of Computing Vol.6, No.1, 1984) には、Heising による回顧記事があるが、Backus のグループは FORTRAN コンパイラソースコードを一部無くしていてバイナリしかもらえなかったり、ソースコードも二種類のアセンブリ言語が入り混じって書かれていたり等ときちんと文書化されていなかったと腐している。

FORTRAN II 開発後の Backus

Backus は周囲の風当たりを乗り越えて予算超過と度重なる遅延ののちw開発を成功させたが、大成功過ぎてグループ解散?ヨーロッパに栄転になって ALGOL (IAL) 協議会議へ派遣される。

それがきっかけで Emil Post の仕事から形式言語を考案する。が誰にも関心を持たれず。しかし P. Naur が ALGOL60 のために少し修正して使って、Backus-Naur 記法となる。(J. Backus, Programming in America in the 1950s—Some Personal Impressions, セクション 9 )
www.sciencedirect.com

FORTRAN 開発時の周囲の風当たりの冷たさや手のひら返しについては、FORTRAN 誕生25年記念号 (IEEE Annals of the History of Computing Vol.6, No.1, 1984) に記述がある。数度にわたる完成予定発表・遅延・予算超過・実現性能低下に関する当時の広告もあり。先述の Bob. Bermer の序文にも記述あり。

1970年には、関数型言語 FP 開発に乗り出すが関心持たれず。1972年の GOTO 文論争大会でも一人代入禁止について語って浮いているw
fortran66.hatenablog.com

1979年チューリング賞受賞後の IBM 社内誌インタビューでも FP は意味不な扱い。
http://www.softwarepreservation.org/projects/FORTRAN/paper/Backus-Think.pdf
fortran66.hatenablog.com

死の直前に FP は失敗だったと述べたとされる。
https://www.reddit.com/r/programming/comments/8zgq3j/i_interviewed_john_backus_shortly_before_his/

【メモ帳】OpenMP5.0 reference guide その他

OpenMP5.0 API まとめ表

www.openmp.org

www.openmp.org
https://www.openmp.org/wp-content/uploads/OpenMP-API-Specification-5.0.pdf

Using OpenMP―The Next Step: Affinity, Accelerators, Tasking, and SIMD (Scientific and Engineering Computation)

Using OpenMP―The Next Step: Affinity, Accelerators, Tasking, and SIMD (Scientific and Engineering Computation)

  • 作者: Ruud van der Pas,Eric Stotzer,Christian Terboven,William Gropp,Ewing Lusk
  • 出版社/メーカー: The MIT Press
  • 発売日: 2017/10/20
  • メディア: ペーパーバック
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OpenMP基本と実践―メニ―コアCPU時代の並列プログラミング手法

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胡錦濤の息子は胡海鋒w

2018.7.4
www.sankei.com

 父親の転勤先である甘粛省生まれの海峰氏は、大学院卒業後、国有企業職員を経て、警備システム開発会社大手「威視」の社長となった。父親の影響力を利用して多くの利権を手にし、すねに傷があるのも事実のようだ。08年の北京五輪で、テロ対策として北京市内の地下鉄駅やホテルなどに安全検査機器が設置されたが、その大半は威視が製造したもので、入札をめぐって不正があったと指摘される。