樗蒲(ちょほ)
博物志に『樗蒲は天竺より出づ、老子此に本づきて今の雙陸を造る』とか。
『芸文類聚』巻74に引く馬融「樗蒲賦」では老子が西域に行ったときに暇潰しに樗蒲を遊んだとしている[1]。『太平御覧』巻754に引く西晋の張華『博物志』では、老子が西域に行って発明したとする[2]。これらの伝説は樗蒲が外国起源であることを示すのかもしれない。
[2] 『太平御覧』巻754・工芸部11・摴蒱「『博物志』曰:老子入胡日、作摴蒱焉。」
雙陸(すごろく)
老子印度人説
博物志は魏晋南北朝の西晋の書。この頃は仏教も来て天竺と通じているし、老子化胡説が後漢の頃にはあるらしいので新しくもない。
もっと古い時代の老子印度人説材料はないものか。屈原の楚辞の中の解釈不能の所を、インド系の言葉の音とすると意味が通づるとかいう話を耳にしたことがありますがw
- 作者: ちょぼらうにょぽみ
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