先日、鼻糞をほじくりながら余嘉錫著『古書通例―中国文献学入門』を読んでいますと、その中に澹台滅明さんが出てきました。
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なお陳皇后が再び寵愛を得たというのは、ちょうど馬融「長笛の賦」(『文選』巻一八)に
「屈原は憂苦のない国へ行き、介子推は戻って禄を受け」るというのとおなじである〔馬融の賦に見える「屈原は憂苦のない国へ行き、介子推は戻って禄を受け、澹台滅明は息子の遺体を載せて帰り、皐魚は泣くのを控え、南宮長万は叛意を抱かず、高渠弥は逆恨みせず、蒯聵は敵を退け、陳不占は忠節を遂げない」の八句は、すべて事実に反する仮定である〕。
文選の注釈を見れば、新たなる澹台滅明情報が得られそうです。上記引用からするに、澹台滅明は息子を亡くしたが遺体を引き取って帰ることができなかった、というエピソードがあるのでしょう。