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李翺(り こう)の致知格物

李翺は韓愈の娘婿で韓愈を継いで唐代に儒教復興を運動したとされる人です。 その李翺の著作『復性書』に致知格物に関する記述があるそうです。

そこでは孟子の説にのっとって、人の本性は誰しも善であるが、悪が生じているのは外部からの感覚によって生ずる情によるものとしているようです。そして、人間本来の善性に復するには感覚を受けても情動を起こさない必要があるとのこと。情を起こさない方法として原因となる感覚を遮断するのではなく、外部から感覚が来ても情を動かさないようにすることと考えたようです。視聴は照々として明らかなまま、しかも見聞を起こさないという境地を復性と呼んだのでしょう。

また『大學』における「致知格物」の語はこのことを意味していると意味しているとし、物=外部感覚が、格(いたる)=感受されて、致知=認知はする(が情は動かさない)、と考えたようです。

「各」が心霊的なものの到達・到来を意味するのは殷代の甲骨文字に見られる本義で、荀子派の影響が強いとされる『大學』という書物と、詭弁学派との論争で認識論・感覚論も論じている荀子派の学問の性質を考えると、致知格物が感覚刺激の到来とその認知について述べていると考えるのはありそうなこととだという気がします。

参考:武内義雄宋学の由来及びその特殊性』、『支那思想史』 佐野 光一『甲骨文 (中国古代の書)』