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漢文の「而」

漢文の接続語として「而」というものがあります。文章の順接/逆接にも使われますが、単語間を結ぶ英語の and/or のようなものにも使われます。日本語では「と」になると思われるわけですが、実際の文章を見ていると微妙に日本語の「と」とは、ずれている気がします。

漢文の「A 而 B」は、集合論の積集合的 A ∩ B 用法(もしくは論理学の A .AND. B)が多い気がします。一方日本語の「犬と猫」や、英語の "a dog and a cat" は、和集合 A + B 的用法で用いられることが多いと思います。もっとも英語にも "An Officer and a Gentleman" (士官であると同時に紳士でもある)という Officer ∩ Gentleman の積集合的用法がまれにありますが。

ともかくも、これが「而」を「と」と解釈して違和感を感じる原因のような気がします。

それにつけても、昔の漢文小説とかを分からんなりに読んでいると、文章の推移と時間の推移が一致していないというか、やたらと二重否定を多用する論理式の羅列があって、論理式を解釈しつつ文を読み終わると、時間がピョンと一挙に経過して次の文がはじまるという感じで、なんともみもふたも余韻も何も無い感じがします。


この本には芥川龍之介の「杜子春」や中島敦の「山月記」の原作が載っています。ほんとに支那人らしい道徳性のかけらも無い下劣な話ですw 謎のペルシャ老人が杜子春に莫大な金を与え続けるのは、杜子春をこの世になんの未練もないアパシーの境地にまで落として、自分の長生術の実現に利用するためでした。また李徴は虎になる前に、付き合っていた女との交際を女の家族に邪魔されたのを恨んでその家に放火して一家皆殺しにする DV 系の前科を持っておりました。その他、光る目の火星人が突如現れて未来を予言したのち空に飛んで消えるという ムー的 UFO・エイリアン話などもあって結構面白いです。