fortran66のブログ

fortran について書きます。

孔子と顔一族

西洋人の嗤うべき妄想

浮動小数点数を実数だと思うと糞ですが、西洋人風にはプラトン的実数のイデアを、浮動小数点数が醜く写した実体なので、しょうがないのでしょうw アリストテレスの形相と質量も、変数型とインスタンスみたいなのもだから、西洋人が好きそうだなと思いつつ、実にしょうもないなと。

西洋人はやたらとギリシア人をありがたがって、自分らをその衣鉢を継ぐものと見なして調子に乗っていますが、ギリシア人はエジプト・メソポタミア文明から遅れること数千年、すでに両文明が衰える頃にチャッカリその結果をいただいたろうと腐したくなります。(アルカイック彫像の立像のポーズはエジプト彫像そっくりの劣化版だし~。あのアホ面は好きですが。)

大体、自然哲学がペルシア領内の小アジアで発生し、ピタゴラスフェニキア人優勢のシチリア島にいてエジプト・メソポタミアで学んで仏教的な輪廻転生説にふけっており、ギリシア本国は相対的に未開で7賢人の初めはフェニキア人との合いの子でフェニキアの新知識を持ってきたことからして答えは明々白々。

プラトンイデアも、ソクラテス死刑の前後に、処罰を嫌がって逃げ回っていた頃にシチリアピタゴラス教徒から金で買った非ギリシア的思想からの産物。そもそもソクラテスはひねくれた詭弁質問ばかり出したが、答えは一つも出さず、弟子たちも一人も答えを出せず、プラトンが旅先で金で買って解決というお粗末さw

プラトンは、ソクラテス死刑の時には「プラトンは病気だったと思います」(パイドン)と、ちゃっかり国外に逃亡中だったし、己が死ぬ時は縁故主義によってアカデメイアを凡庸な甥に継がせて、自分が継げると思っていたアリストテレスを憤激させて、同僚共々離職させています。結論:西洋アカデミズムの根源は剽窃縁故主義

孔子の顔一族えこひいき

ひるがえって、支那孔子はといえば、凡庸な自分の息子には冷たく、晩年に実の息子に先立たれてもコメント一つ出さないのに、翌年顔回が死んだときは、礼教に反してまで哭して泣きわめいています。そのことを弟子に突っ込まれると「いつ哭するの!今でしょ!」と林先生ばりに逆切れを見せる非人間ぶり。息子に離婚した元妻の顔がダブったのでしょうかw 
 
でも少なくとも学園相続に関しては、縁故主義を排していました。そして弟子の中で年長の有若が、年功序列と顔が孔子に似てるという理由で学園を継いでます。(すぐ学生運動で失脚しますが)

ここまでがまくら

では孔子縁故主義でなかったかと言うとそうではない気がします。孔子は、顔一族を依怙贔屓しているように思われます。

奇妙なことに、女の名前がほとんど残っていない支那古典の中で、孔子の母親は大したエピソードもないのに顔徴在とフルネームで出てきます。対して孟母三遷や孟母断機の教えの有名エピソード主役の孟子の母は、仇氏の出としか出てきません(私がそれしか知らないだけですがw)。取りあえず、孔子は顔一族の一員だと分かります。

孔子の可愛がった弟子は、顔回子路ですが、顔回は名の通り顔姓、子路の方は奥さんが顔姓と分かっています。それは、孔子が衛の国に逃げた時に、君主霊公のホモフレンド弥子瑕が登場して、弥子瑕の奥さんが顔姓で、子路の妻の姉妹と出てくるからです。結局、孔子の弟子の一番二番の両方が顔一族関係者というのはきな臭い。

論語は、孔子の死後だいぶたってから、派閥に分裂した弟子グループが大同団結して、それぞれ派閥ごとの伝聞を集積編纂したものとされています。読んでいくと、やたらと子路が糞味噌にけなされている篇もあれば、立派な弟子として書かれている篇もあり、評価が一定しません。顔回も生活力のない貧乏人扱いの時があります。アリストテレスばりに、孔子縁故主義・顔氏贔屓を嫌ってくそみそに言っていた派閥があるのかもしれません。

漢代の讖緯説による孔子顔回エピソードには、孔子顔回が千里眼を発揮して超能力を使うが、顔回は力及ばず急速に老化するとか、漫画チックなものが大量にあったようです。顔氏の派閥は、斉国方面のオカルト大好き派閥だったのかもしれません。

ところで韓非子の弥子瑕と霊公のラブラブエピソードには、弥子瑕が食いかけの桃を霊公に食わせるとか、専用馬車を勝手に乗り回すとか、おかま特有の人間距離感の異常さエピソードが出てきて胸糞が悪くなりますが。老けてきて霊公の愛が終わるとともに、思い出すに「まじキモッ!やっぱ厳罰に処す!」となってスカッとしますw LGBTの意識の高い皆さんは、他人の食いかけの桃をペロペロしてください。