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韓愈の原道における『大學』からの引用について

韓愈は出発原理に格物致知ではなく正心誠意を採っている

宋学の源流は唐代の韓愈に発しているとされています。唐代は仏教が隆盛を迎えて、知識人は仏教の深淵高邁な哲学を重んじて、儒教の凡庸平常の思想を軽んじていたわけですが、古文復興を唱え排外主義的民族主義思想に目覚めた韓愈は、礼記の中から『大學』『中庸』の篇を抜き出し『論語』『孟子』と合わせて、のちの四書につながる師弟の道統を孔子・曾子・子思・孟子と仏教にならって並べたとされます。

のちの宋学では、二代表の朱子学陽明学が争いますが、その中で『大學』の解釈が主戦場の一つになったようです。形式面から読むと『大學』は還元主義的な構造を持っていて、出発原理からすべてが演繹されて出てくるような論理展開をしています。ところが、その肝心要の出発原理の部分の説明が無くて解釈が一定せず、近代にわたるまで皆勝手な説を立てて喜んでいます。

朱子は勝手に文章の順番を入れ替え説明を補って、客観主義的な立場から格物致知を出発原理においています。一方、王陽明は元々主観主義的であるし、また朱子に反対する立場から、正心誠意に出発原理を置きました。

宋学の源流とされる韓愈はどのように考えていたのかという疑問がわきます。その韓愈が、仏教・老荘を否定し儒教を擁護した文章に「原道」というのがあります。その中で、礼記の中から『大學』を引用している部分があるのですが、そこでは還元主義的なプロセスでさかのぼるのは、王陽明と同じく正心誠意までで、朱子のとる格物致知まで至っていません。

これは、面白いと思ったので、ここにメモしておきます。

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そもそも宋代の支那は、北方異民族に圧迫を受け続け、ついには蒙古人に滅亡させられる運命の、卑屈極まりない有様でした。内政では水と油の様に争う新法党も旧法党も、いざ戦争となるとどちらもそろって仲良く負け続けるボンクラぞろいです。現代の墳青よろしく民族主義に目覚めて、妄想の中で資治通鑑とか正閏をさだめて喜んでいたわけですが、そこに唐代に空気も読まずに廃仏を唱えて追放され左遷コースで鬱屈しながら儒教民族主義的妄想を繰り広げていた韓愈がピタリとはまって、仏教から盗んできたアイデアで宋学を生み出す様は滑稽千万で草不可避なことだと思います。